私が2回目の休職をした理由【気分の波に立ち向かう方法】

休職・復職

介護職18年のマサヨシです。休職と復職を2回くり返して、現場で働く44才です。

今日は2回目の休職について書きます。

メンタルの不調は、繰り返すことが多いと言われます。やはり私も再発しました。それまでも、気分に波があり、ツライときもありました。でもなんとか持ちこたえていましたが、やはり無理でした。

そんな2回目の休職に至るまでの記事です。

今回の記事を読めば、気分の波に立ち向かう方法が分かります。今現在、復職して頑張っている人、休職中の人、メンタルが壊れそうな人の助けになれば良いと思います。

受け入れて、様子を見る

人間なら気分の波はあります。大きいか小さいかの違いです。その波をまずは、受け入れる。そして、飲み込まれないことが大切です。具体的には、波がどれくらいで、自分がどの辺にいるかを、まず認識します。そして、1週間様子を見ます。大きくても、小さくても、下にいても上にいても、なんとか踏みとどまります。すると、1週間後には、波は落ち着いています。

でも、あの時は踏みとどまれませんでした。

現場で

現場に復職して、5年間くらいは低空飛行でなんとかやっていました。夜勤、業務リーダーは行っていました。でも、決して前向きではなく、気分の波とも戦っていました。そして、時間とともに、徐々に元気も取り戻していました。

介護支援専門員になる

介護支援専門員の資格は持っていました。現場での限界も感じていたので、希望は出していました。そこで、施設のケアマネージャーをやってみないかと、声がかかりました。迷いましたが、尊敬する上司の勧めもあり、奥さんとも相談して、やることにしました。

仕事に対する姿勢

現場の時も、ケアマネになってからも、与えられたものをこなす姿勢で働いていました。決して前向きではありませんでした。「再発しないか」を常に考えていました。仕事に距離を置くことが再発を防ぐことだと思っていました。いつも何かに見張られているような気がしていました。

でも、結局それが、あだになったのでしょう。

人間関係が複雑に

また、人間関係も複雑になっていきます。

現場と違い、ケアマネになると、事務所の固定された職員との関係になります。他施設や事業所との連携もあります。

ケアマネになって、1年半がたった頃、他施設の相談員との確執が起こります。横柄な先輩の相談員に意見してしまいます。簡単に言うと、その先輩は自分の施設のことばかりで、こちらの施設に無理難題を押し付けてきたのです。

また、事務長が頼りない人に代わります。いい人なのですが、自分の役割を行わず、なんでも逃げる人でした。

強化型老健へ

また同じ時期に、施設が大きな方向転換をします。在宅復帰強化を目指すことになりました。かなり大きなプロジェクトです。もちろんケアマネの責任も大きいです。しかし、プロジェクトのリーダーは、先ほどの事務長のはずでした。ですが、全く動いてくれません。何か月かして、理由はわかりませんが、その事務長がポストを外れます。案の定、私がプロジェクトリーダーをやることに。もう、算定開始まで1か月です。ほとんど準備もできていません。急に私にバトンが渡されました。

「今の自分にはできるはずがない。」そう思ってしまいました。

眠れなくなる

また眠れなくなりました。嫌な想像ばかりしてしまいます。1回目の休職が頭をよぎります。フラッシュバックです。プロジェクトは私がやるのか、自分が悪いのか、組織が悪いのか、過去、未来、頭の中で堂々巡りです。

「そうだ、あの人に相談しよう。」

プロジェクトからの離脱

あのケアマネになることを勧めてくれた、尊敬できる上司(その時は人事の部署におられました)に相談したところ、「これは君のする仕事じゃない。やるにしても負担が大きすぎるね、無理だから、降りたほうがいい。」とアドバイスされました。そして「今まで、よく頑張ったね」と励まされ、涙が止まりませんでした。そして、事務長に「できません」と伝え、プロジェクトから外れました。

異動そして休職へ

別の施設のケアマネと交代し、異動することになります。しかし、そこには、あの確執のあった相談員がいたのです。でも、その確執の根本には、プロジェクトに対する焦りがあったから、意見しただけだと思っていました。話せばわかってもらえると思っていました。しかし、異動してみると、完全に無視でした。話すこともできませんでした。その施設に私の居場所はありませんでした。そこで、完全に心が折れてしまいました。再び眠れなくなりました。1週間も待てませんでした。そこから、2か月休職することになります。

二度のプレッシャーに耐えられなかった

プロジェクトからの離脱で開いた心の傷は、尊敬する上司が応急処置してくれました。しかし、異動した先の人間関係で、再び心の傷が開いてしまいます。大量出血でした。そんなすぐに心の傷は癒えていなかったのです。さらに1週間待つという心の余裕はありませんでした。

今思えば、仕事に対する後ろ向き姿勢が、プロジェクトを放置することに繋がったのだと思います。早い段階で「事務長のやらないなら、私がやります」と言えれば、結果は変わっていたかもしれません。

また、人間関係にも過度に依存していた。私には「上司や先輩とはこうあるべき」という考えがあるのかもしれません。上司なら当たり前だろうと思って、自分から働きかけることも少なかったのかもしれません。世の中、良い上司ばかりではありません。

でも、すべて結果論です。1回目の休職と同様、色々な要因が絡んで起こったのでしょう。

再び休職することになりました。

妻のコメント

ここで、奥さんのコメントです。

また主人が「眠れない」と言いました。ケアマネになってからも、何度かありましたが、今回は違いました。ちょうど子供の運動会の前だったので、よく覚えています。前のことがよぎったのか「また、休職したらどうしよう」「また病気になってしまった」と。これは、再発する可能性が大きなと認識しました。私自身は、前回のこともあったので、受け入れる準備はすぐにできました。でも、前回と明らかに違っていたのは、子供が1人増えて3人になり、私も仕事をしていたことです。家のことで精一杯だったのです。このままでは、夫を支えることができない。もし、私が倒れたら子供の世話を頼める人もいない。そこは割り切ろうと思いました。一番の要因は、子供たちが変わってしまった夫との接し方に戸惑っていたからです。前回より成長している長女と次女、そして三女。子供たちは、主人の顔色を見て、私の顔色まで伺うようになっていたのです。「もう助けを求めよう」と決めました。
助けを求めた先は、主人の実家でした。車で30分程にあります。義母は昔からうつ病と戦っておられました。主人の気持ちも理解してくれるし、仕事もされていませんでした。義姉も二人同居していました。彼の行動を見守ることができるし、ここ以外に頼れるところがありませんでした。
でも、後で義母に聞いた話だと、主人は、「死にたい」と言い、ハンガーで首を吊ろうとしたり(幸いハンガーが壊れたそうです)、一人でどこかに行こうとしたり、フラフラで歩けないのに、急に「車の運転をする」と言ったり、お菓子やアイスを大量に食べる(特にジャイアントコーンに固執していたよう)など、目が離せない状況だったようです。
主人のことを一人で考えず、迷惑だったかもしれないけど、義母や義姉に頼ったことは、本当に良かった。理解者ができたこともそうですが、そのおかげで、子供たちに主人の病気のことや、今までのこと、これからのことをしっかりと話せる時間を作れたから。子供たちも、なぜパパが気分の波があるのかの理由が分かって、接しやすくなったと言っていました。

まとめ

1回目の休職から7年で、2回目の休職に至ります。それも、現場からケアマネに舞台は変わります。再び患ってしまったという思いが強かった。でも、奥さんは優しかった。「何回、罹ってもいいやん。」家族のありがたさが身に染みてわかりました。

お医者さんからは、抑うつ状態で、一ヶ月の休職を要するという診断でした。

今、現在も気分の波はあります。でも「1週間我慢しよう」と言い聞かせます。すると、本当に1週間後には戻っています。忘れていることすらあります。でも、その1週間後には、また落ちたりもするんですけどね。みんなそんな感じで乗り切っているんではないでしょうか。

それでも、無理な時は休みましょう。

おすすめの本

休んでいた時に元気づけられた本です。

〇「うつ」の捨て方 うつ病とのかかわり方が網羅的に書いてあります。個人的には仕事でのストレスとの向き合い方が書いてあってためになりました。

〇#生きていく理由 マットヘッグさんという外国の作家の方が、実際の体験を綴った本です。

次回は再々現場に復帰します。そのことを書きたいと思います。2回目の現場復帰から、前向きに働けるようになるまで、そしてブログを始めるに至ることを書きたいと思います。

めざせ100記事。

最後までお付き合いありがとうございました。

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